コロンはチャチャくもの
80年代洋楽も根こそぎ総ざらいし過ぎた感のある今、次の視線は当然のごとく邦楽に向っております。その一環なんですが、ちょっと前まで布袋寅泰ブームが到来してました。もちろん僕の中だけです。BOOWY時代からソロのギタリズムシリーズ、そしてCOMPLEXとついでに山下久美子作品も一通り網羅しました。なぜ布袋なのかは自分でもよく分かってません。ただ分かってるのはこれを読んでる方の共感はなかなか得られないだろうという事です。それでもいいんです。マイブームの話だし、俺のブログだし。
リアルタイムの頃から好んで聞いてたわけでもないです。どちらかというと敬遠してた節もあり、丁度BOOWYが流行り始めた中学生の頃にはNYハードコアパンクやUKインディーバンドに夢中になっていたので、友達の家で強制的に聞かせられた記憶くらいしかありませんでした。嫌いな理由は多分、カッコつけるカッコ悪さに敏感な子供だったからでしょうか。あまり大した理由はないと思います。純粋に好きじゃなかったんでしょうね。子供ですから。
そして今回、布袋ワークスを片っ端から聞いてる自分がいるわけなんですけど、なんでしょうね、このダサカッコよさは。聞いてて居心地の悪くなるようなダサさが全面に溢れてるのに、なんだかよく分かんない自信に満ち溢れたサウンド作り。この人は基本はグラムロックの人なんだろうけど、そこから広がるはずの音楽的含蓄が、深そうな割にロックの変化に以外とリンクしてないのが面白い。発表された年代順に聞いても、さして変化がない。あるのは一環して日本人の琴線に触れまくるコンパクトなポップソングと派手なビート。そしてその中には、ギターを手にしたキッズがまず真似したくなるようなリフの嵐。
頭で聴く音楽と体で聴く音楽というのがあるとすれば、彼の音楽は完璧に後者。よりプリミティブな衝動を何のヒネリもなく表現した潔さというか、簡単に言うと“氣志團”に引き継がれてるあのテイスト。あのテイストですよ。あれ。言っちゃっていいっすか?ええ、ヤンキー臭です。「小難しいことはいらないゼ、ロックはハートで感じるのしゃ!」ってヒムロックが言いそうですが、より敷居を低くした汎用性の徹底っぷりが、ここまでBOOWY神話を作り上げたんだと勝手に解釈してます。簡単に言うと、安いダンディズムの叩き売りってことですね。
そもそも、布袋さん自身が“ESP EV-1”というヴァンヘイレンのギターデザインをパロってしまう位の分かりやすさを持った人ですから。そこらへんをダサいと呼ぶにはあまりにもミもフタもない開き直り感。さらに2メートル以上(髪含む)にも及ぶ巨神兵体型から発信される、マチズモ王道ロックは過剰なまでにギミカルで、その辺の分かりやすさが“永遠のロック兄貴”として拝められるポイントではないかと。ついでに付け足すと、山下久美子⇒今井美樹⇒高岡早紀なんていうしょっぱい不倫遍歴も『らしく』てイイ感じです。
何だかケナしっぱなしのよく分からない文章になってますが、本当にハマって聴いてたんです。最初にも書きましたが、余計なものがない、迷いの無いロックは相当気持ちいいです。ポップソングを作り出すというソングライターとしての士気も相当なもんです。さすがこれだけのキャリアを一線で走り抜けただけのことはあります。高いクリエイティビティと履き違えたクール感、このよく分からないフラクタルな取りとめのなさが、結局<ダサカッコいい>って感想を搾り出してくるんだと思うんです。
ちなみに『ノーNY』という曲には、“シャワーを浴びて、コロンをたたき”という歌い出しがありますが、あれはシャワーを浴びる歌であって、『入浴しない(NO入浴)』というサムい語呂合わせの歌ということで間違いないんでしょうか。だとしても何の驚きもないですが。そして“コロンをたたき”というのも、何度聴いても“コロンをチャチャき”としか聞こえません。勿論ヒムロックのヴォーカルスタイルによるものなんでしょうが、COMPLEXでも“もう出かける時間だよ / しっかりコロンチャチャいて”と吉川さんにも受け継がれてます。
というわけで、コロンはしっかりチャチャいて出かけようと心に決めたのでした。